20年目の1/17

阪神淡路大震災から20年が経過した。

あれから既に20年も経ったんだなあと、感慨深い。

心に残るあの時の光景は、古いアルバムのように色あせて、鮮明な色合いからモノトーンに徐々に変化してきている。

そして、心のアルバムを開かないと思い出さないように、自分の中で風化してきている。

あれから20年、自分の人生の転機となる、転職を決意するきっかけの一つでもあった。

 

いろいろなものが変わるきっかけを作ったあの日のことを、もう一度思い出した。

1/12の調理法

この冬、いろいろなことがあったので、通常の9連休に8連休を足して、17連休になってしまった。

冬休みの間にたっぷりと栄養を与えられ、さらに大量のアルコールを摂取し、十分な内臓脂肪を溜め込んだ体に、明日から仕事に行くぞと叩き込むための準備を昨日から始めた。

<出荷前調整>

たっぷり栄養を吸い、溜め込んだ脂肪とそれをいい塩梅に柔らかくするために浸み込ませたアルコールを老廃物とともに体外に吐き出すために6.8kmのランニングを実施。

程よい筋肉痛により、赤身の部分を締め上げる。

<下ごしらえ>

体内の老廃物とアルコールおよび、休み癖のついただらけた気持ちを引き締めるために、近所のスーパー銭湯へ。

  1. 先ず始めに、85℃ほどのノンフライヤー(サウナ)で15分ほど水分を飛ばし、体内の脂分を溶かし出します。
  2. 冷水に45秒ほど肉を漬け込み、表皮の毛穴を収縮させ内部の熱を閉じ込める。
  3. 肉をほぐすために、全体を5分ほどスチーマー(スチームサウナ)で蒸し上げます。
  4. そのまま自然冷却(露天風呂の縁)で全体を冷ます。
  5. 40℃ほどの湯で肉を茹で上げる。この際左右から水流を当て、脂肪を揺する。
  6. もう一度ノンフライヤーで10分ほど熱風を吹き付けることで、体内の脂分をあぶりだす。
  7. 更に冷水で肉を締め上げる。
  8. スチーマーに再投入し、蒸し上げながらストレッチにより肉や筋を伸ばしていく。
  9. もう一度ノンフライヤーに投入し、最後に残ったアルコール分を脂とともに体外に排出。
  10. 冷水で絞めたあと、ローヤルゼリー入りの湯(薬湯)で湯煎。
  11. 最後にさっと洗い流し、ザルに上げる。

<味付け>

ザルに上げたら、湯気の立っている間に、腰に手を当てて瓶入りのヨーグルトドリンクを一気に流し込み、水分の抜けた肉に再び、水分を補給する。

このまましばらく放置し最終調理を待つ。

<調理>

程よく辺りが暗くなってきたら、全く抜けてしまった水分を更に補給するため、新しいアルコールを適量含ませることで、身を柔らかくし、明日からの労働に勤しむ活力を補給する。

以上で明日からしっかりと働くための素地作り完了。

1/6が終わりました

1/5月曜日 本来なら仕事初めのこの日、年末に転倒して頭部を5針縫う怪我をした、義父の抜糸のため病院に連れて行った。

そもそも仕事納めのあった日の晩 12/27の朝4時ごろに頭部をパックリ切って出血した義父がこの週二回目の救急車で病院に運ばれた後、1日家で寝かしていたら、めっきり動けなくなってしまったのが、ことの発端。

動かないから食が進まないのか、食べるとトイレにいかなければならないので、飲食を控えたのか、はたまた本当に食べたくなかったのか、ほぼ1週間食料を口にする量が、極端に減ったため、本当に足腰が立たなくなり、トイレにも行けなくなってしまった。

それでも1/5はなんとか着替えをさせ、トイレに立たせ、ほんのちょっとの食事もしたあと、抜糸のための脳外科と背中や腰が痛いといっていたので整形外科と、とにかく栄養が取れなくなってしまったので内科の3科を予約し、本人を連れて行った。

8:30に予約を並んで1番だった脳外科も、本人を連れて行ったのが10時、それでも脳外科の抜糸はすぐに終わり、整形外科ではレントゲンを撮影したあと問診、ここまでで11:00過ぎ。

内科に並んだが、検温や血圧測定、体重計量などやっているうちにお昼を過ぎてしまった。

血液検査のあとブドウ糖の点滴、CTと進むうちに、胆管結石による炎症があり、すぐにでも手術が必要だけど、設備の関係で大学病院に行かないと無理という、とんでもない結果が。

そこから受入先病院を探してもらい、独協医科大学についたのが17:00。

この時点でもうおじいちゃんクタクタだったろうに、造影剤を入れてのCTなどふたたび検査が。

結局胆管炎だけではなく、大動脈瘤の疑いもあり、すぐには手術ができないので、2週間の入院の中で、様子を見ながら対処するという結論になったのだが。。。

 

そのまま入院し数時間経った1/6 2:30頃に呼吸がないことに気がついた付き添いの妻が医者を呼び、蘇生術をしたが結局そのまま帰らぬ人になってしまった。

 

あまりにも突然であっけない最後。

それでもおじいちゃん、年末には散髪をして、前日にはデイサービスで入浴をして、最愛の娘に看取られた人生は、幸せだったと思いたい。

合掌